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そんな訳で氏真について語ろう(ヤツレ顔

そんな訳で、桶狭間の戦いは、戦国時代が生んだ運命的な戦いに完全敗北した今川家。
運命に完全敗北した今川家c

後を継いだのは今川氏真!
今川氏真の数奇な系列

………

……



ダメっぽいな

うん、異論は認める。
この今川氏真。従来の評価としては「徳川家康に義元の弔い合戦を誘われるも、蹴鞠遊びにほうけて、見かねた徳川家康が独立してしまう」ということになっている。
 それほどまでに氏真=蹴鞠のイメージは高い。
後世の江戸時代では、「今川氏真は蹴鞠で家を滅ぼした」という認識ができ、これは現在でも根強い意見である。

否定はしない。
だが、異議は唱える。

彼は、弔い合戦をしたくてもできない情勢下にあったのだ。

ご存知のとおり、圧倒的内政力で今川家は強国で有り続けていた。
それがない以上、支配地域の混乱は計り知れないものだろう。
 現代に例えるなら、中国での食品偽装問題で、飲食産業の株を所持している株主たち「うちが持っている株の会社は大丈夫だろうか」と心配して、会社に電話したりするだろう。
 氏真はその応答をしていただけなのだ。むしろ氏真(社長)直々に「うちは大丈夫です」と主な有力者に行って回っていたのだ。
 あるいは接待をして「どうか今後共ウチを支持してください」と頭を下げていたかも知れない。
当時の接待は、連歌会だったり、蹴鞠だったり、俳句会だったり、茶道だったりと、現代のものと違う。

そう、氏真は不安視する地元の有力者達を安心させる為に接待を行っていただけなのだ。
 むしろ、2万5千から4万もの大軍勢を動員し、負けてしまったのでその大赤字をどうにかする為の資金の調達・やりくりを行っていた。

 なのに、徳川家康は空気も読まずに「仇討ちしようぜ」とかトンチンカンな事を言うもんですので、拒否して当然です。
しかし、徳川家康としても、お隣さんが敵意むき出しでいる以上、どうにかしてもらいたいのが本音です。
 そんな訳で徳川家康の独立も致し方ないとも言えます。

しかし、そんな最中、今川家を狙う存在、武田信玄が突如裏切って攻めます。

武田信玄0      今川氏真の数奇な系列
武田信玄  VS  今川氏真


ダメっぽいな
あの信長さんが寿命で勝った相手に勝てる訳ないだろ!いい加減にしろ!

そんな訳で今川家は滅亡してしまいます。

ここで面白いことに、最後に逃げ込んだ城に立てこもり、その城は「1日も持たない」とされていましたが、最強の武田軍相手に「五ヶ月」も持ちこたえたそうです。

城の中でこのようなやりとりがあったのでしょうか。
ペンウッド卿
すくなくとも、私テト式は、氏真はヘルシングのペンウッド卿のように、無能だが、卑怯者ではない存在だったのではないかと思っています。

ともかく、家臣達の奮闘により、氏真一族と家臣達の命は城の開城と引き換えに保証されることになります。
城を失った氏真は、嫁の早川殿の実家である関東の北条へと身を寄せることとなる。
完全敗北した今川家 

さて、関東の嫁の実家へ逃れた氏真は、北条の居候型武将として厄介になります。
 北条としては今川の旧領駿河をGETできる大義名分なので邪険することなく受け入れます。


北条さんちでの出来事
やっぱり武田には勝てなかったよ…

 次第に情勢の移り変わりにより、諦めモード&武田との同盟の運気も、北条家内に出てくるようになってしまいました。
ニートくん←こんな態度だったので追い出された説(大嘘

そんな訳で、追い出されたので裏切ったとはいえ、元部下の徳川家康の所へ行きます。
来ちゃった

 徳川家康「う、うぜぇ…でもこれで駿河攻略の大義名分GETだ!(ううむ、大義名分や元君主としての義理としても、蹴れぬと踏んでこちらへ来たか…したたかなお方じゃ)」

 と、いう訳で、徳川家康の所で居候させてもらったが、なんと家康は氏真を織田信長に合わせてしまう。
いきさつ前回の顔はやさ男なのでもう少し厳しそうな顔付きにしました。
信長自信、結構楽しみにしていたらしく、それというのも氏真は蹴鞠の達人であり、ぜひ見たいとの要望であった。

 そして、氏真親の仇の前で蹴鞠を披露してしまう。

武士は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つのが本分とする当時としても、流石の氏真の行動はだらしのない、恥知らずな行動らしく、「お前生きてて恥ずかしくないわけ?」と言われてしまう。


だが、待って欲しい。
織田信長と対面した当時は1575年。1573年には小谷城の戦いを攻めて、妹・お市の婿である浅井長政を打ち取っていた。
 いくら裏切ったとはいえ、城を焼き討ちし、討ち取った長政の頭蓋骨に金箔を貼って飾ったりお酒を飲んだりしていたのだ。 
金箔を張ったのは事実だが、それでお酒を飲んだかは不明だが、それ以外にも比叡山焼き討ち等、かなり厳しいという事は知れ渡っている
 これは歯向かう者裏切り者は絶対に許さないという行為であり、ヘタをしたら冗談抜きで殺られる状況だったのだ。
こんなところで「嫁と…子供が俺にはいるんだよぉぉぉおおお!!」
注・蹴鞠をするだけの簡単なお仕事です。

と、言うことなので
殺られる前に演れ (ハルキ文庫)殺られる前に演れ (ハルキ文庫)
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正直、頑張る所が少し違うと言わざるを得ないかも知れない。

それでも、能力的には
蹴鞠をやれば、最大の敵だった義元の子供でも褒められるぐらいに上手であり
刀だって、江戸時代に今川流の流派は氏真が最初かもしれない。という説も程達人だし。
和歌にしても1600首以上読み、後水尾天皇選の集外三十六歌仙にも名を連ねる。


そして、晩年は、徳川家康の天下となり、家康とはお茶飲み友達となってウザがられて離れた所に屋敷もらったり元気に生きて夫婦円満で子宝にも恵まれ後継は当然ながら他の高家にも養子を派遣する程であった。

そして、76歳まで生きました。最愛の嫁、早川殿がその前年に死に、跡を追うように死んでいったそうです。
徳川家康は健康オタクでしたが、73歳で死にました。つまり家康より長生きしました。


「お前生きてて恥ずかしくないわけ?」
と言われ続けましたが、いざ終わってみれば
織田信長の生きたかった「未来」を生き

豊臣秀吉が渇望した「子宝」に恵まれ

徳川家康が望んだ「長寿」だった。

日本三英傑が欲しかった物を全て手に入れた、究極の天下無双の無能武将。それが今川氏真です。

彼の生き方は、現代社会に生きる人にとって、共感できる部分がある筈です。
 豊臣秀吉の晩年は、子供に恵まれず養子を殺したり朝鮮戦争を引き起こしたりと悲惨な晩年でした。
日本最大の建築物に住み日本中の黄金を我が物にして毎日女をつまめた権力者であるにもかかわらず。です。

 それに比べたら、氏真は一度国家そのものを終わらせる失態をしてもなお、生き続けたのです。

以上が、私テト式が今川氏真を好きである理由の全てです。


なお
同じ無能の代名詞の朝倉義景父・信玄を超えるとされていた武田勝頼は、
自分の国を滅ぼして親戚の人に殺されたり、自害しました。
前者は名家後者は今川家滅亡の原因の存在です。
それらが滅ぶ戦国の時代。彼がした事は、家庭円満子孫繁栄

徳川幕府からは高家の扱いを受け、今川家本家明治まで続きます。

しかし、明治時代に入ると、幕府から優遇が消えてしまい、他の武家と馴染めずに華族等にもなれずに、養子も取ることもできずに今川本家はそこで途絶えることとなりました。


しかしながら今川家は、足利将軍家の予備の予備である。足利家の三男あたりが吉良家となり、吉良家の三男あたりが今川家となりました。
 つまり、遺伝子的にいえば、今川氏真は遺伝子のリレーを立派に努めたと言えます。それも明治まで。

それに、分家や養子派遣、妾の子によって今川家の血は色々と分散しているので、今もどこかで今川さんの血を受け継いだ方がいる筈です多分。
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タイトル
2011年2月16日導入
プロフィール

テト式

Author:テト式
24歳。がくせ…介護職員です。
東方厨だと思ったら艦これに裏切ったけど小鈴ちゃんが可愛いから那珂ちゃんのアイドルやめます。
艦これはやってません(迫真

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