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氏真の話しようとしたらいつの間にか桶狭間の戦いになってた。

さて、まず桶狭間の戦いをする前に、その背景から説明をしなければなるまい。

上洛の為に進撃していたという説が多いが、当時の資料からは上洛をしようとしたと見る事はできない。
信長や信玄等と比べると、その形跡がない。信玄は同盟国北条が裏切らないようにその奥の佐竹と同盟して北条が裏切らないようにする程なのに、今川はそのような形跡がない。

よって、上洛ではない。

ならなんなのかというと、織田信長の父の代から今川義元は織田家と戦っていたので、それの終止符を打とうとしたといえる。
あるいは、那古屋城は元々今川家のものであり、それを取り返す為の戦争とも言える。

いずれにせよ、尾張織田家は、平定して間がなく、各地で反乱が起こり、米所であり経済地でありながら5千の兵力しか集める事ができずにいた。
しかしながら、相手は2万5千から4万もの大軍勢。勝てる道理はないように見えたが、唯一勝てる方法、それは籠城である。

は?清洲城は籠城に向いてないよ?と思うかもしれないが、だがちょっと待って欲しい。
2万5千からなる大軍勢である。その消費する食糧はかなりのものであり、そして当時は飢饉の多い時代であり、少し踏ん張れば食糧不足になって逃げ帰るという計算だった。
 それこそが歴史の漫画やアニメで、頑なに籠城を進める家臣の案なのだ。

彼らの案は一見するとそのとおりに見えるが、尾張織田家からすると、それは自殺行為である。
織田家の動力源は経済であり、その経済は津島・熱田という地域が主流であった。
とくに津島は信長の祖父の代からの支配地域であり、信長は津島の商人達の次男坊・三男坊・四男坊達を集めて本隊の兵力としていた。これが兵農分離の先駆けとなった。まあ、子供時代の友達集めての戦力なので。

そんな中、籠城をしてしまえば、津島・熱田を占領されてしまう。そうなれば商人たちは弱腰の織田より今川についてしまう。そうなったら経済でもっている織田は破滅してしまう。
 故に、信長は籠城を選択せずに打って出る事になった。

 一方、今川義元といえば、信長の父親織田信秀に煮え湯を飲ませられた経験があった。
当時、織田信秀とは三河をめぐる戦いをしており、その関係で徳川家康もとい松平元康の父親松平清康は今川義元を頼って援軍を要求した。
 その見返りとして幼少の松平元康を人質として要求。清康はこれを承諾した。しかし、家臣の裏切りにより元康は今川ではなく織田家に人質に行ってしまう。
 これが煮え湯の正体である。
もっとも、義元は復讐として三河においての織田家の影響力を完全に遮断すべく軍事作戦を展開。逆に尾張の南部分を支配するという状態であった。

 以上のことから、義元が信長をうつけと油断するどころか得体のしれない存在として危険視していた可能性が出てくる。
当時、信秀の代ですら14万石の領地しかなかったにもかかわらず実質40万石の国力を有していた。
 どうも信長はその流れを組み、かつ父親より銭を知っているようだ。と、父親の死後、弟を倒した信長を見てそう思ったと考えるのが普通である。

 北条・武田との同盟も、信長に危機感を感じての同盟だったかもしれない。

かくして桶狭間の戦いはおこるべくしておこったと言える。

桶狭間の戦い1
さて、かくしておこった桶狭間の戦いであるが、圧倒的戦力に対して、信長は可能な限り相手の戦力の分散を図る。
 図のように今川軍の城を取り囲むように砦を建築。お金ならたくさんある。
しかし、相手はお父さんを超える存在の今川義元
この陣形を見て「あ、こいつ奇襲狙ってるな」と即座に理解。
 普通に考えればわかることだ。こっちは圧倒的戦力。ならば戦うか降伏かの二択後者でなければ前者。そして前者ならば、狙うは私の首一つ。
だったら乗ってやるよ。来たら速攻潰す。と作戦行動開始。
第一目標、熱田の占領。第二目標、津島の占領。これら完遂した時、織田家は滅びる。

桶狭間の戦い2
そんな訳で、ホイホイと誘われるようにおびき出された信長。
そんな情勢下、刻々と城を囲む砦が攻撃される中、ここで今川義元に誤算が生じはじめた。

 善照寺砦の存在であった。なんとこの砦、小高い山にあるので、周辺一帯が丸見えなのだ。
 とりあえず、遠くに今川本隊と思える部隊が移動しているのを確認し、奇襲先遣隊を出撃させる。
だが 義元「うん、知ってた」とばかりに今川の武将、岡部元信にあらかじめ指示をしており、この奇襲先遣隊を撃破全滅させられてしまう。
 そして、この奇襲先遣隊は熱田を守る武士団長が率いており、この報告に、今川義元は熱田へ急行するように進路を変更する。
 最初から勝敗は決まっていた。ならば早期に終わらせるのがいいだろう。という判断である。

桶狭間の戦い3
だが、それでも織田信長は諦めていなかった。
 それというのも、鳴海道を行く軍団、今川本隊らしき部隊を捉えていたからだ。
一か八か。掛かってくれば引き、逃げれば襲う。そんな単純にして大胆な思いを秘め、信長は決断する。
 兵士達も気持ちは一緒である。どうせ商人達の次男・三男・四男坊。ダメで元々、成功すれば儲け物。賭けには悪くない大将だ。との判断であった。

かくして、信長は今川本陣へ向かう。

今川義元も、信長に備えて鳴海道の脇にある桶狭間山なる山に陣取って待機。これを迎撃する構えであった。
 
 そんな時、にわかに大雨が振り、いつしか雹となる大嵐となった。

かくして、戦国という世の末の最中。
尾張という経済地に生まれし銭を知る未来の世紀末覇王
 織田信長

法で統治する父に生まれし法を知る現世の世紀末救世主
 今川義元


互いの未来を掛けて、衝突する。





そして、
     天は、
         世紀末覇王を選んだ。





もし、晴れていたら。
もし、もう少し踏ん張れていたら。
もし、信長が地元農民を使った情報網を構築していなかったら。
もし、簗田政綱がいなかったら。
もし、簗田政綱と信長が入れ違いだったら。
もし、信長が諦めていたら。


結果は違うものになっていただろう。
 そうなれば、今日の日本の形すら危ういものになっていたかもしれない。
残念ながら、今川義元の「その後」がどういったものになるかは、今川義元を愛してやまないテト式であっても創造ができない。

それほどまでに、信長という存在は、極めて重要な存在であることは疑いようのない事実である。

最後に、この結果についての判断材料となる言葉を一つ提示して幕を下ろさせていただきたい。

 天下人は天が決める by花の慶次13巻 豊臣秀吉
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テーマ : 趣味と日記
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タイトル
2011年2月16日導入
プロフィール

テト式

Author:テト式
24歳。がくせ…介護職員です。
東方厨だと思ったら艦これに裏切ったけど小鈴ちゃんが可愛いから那珂ちゃんのアイドルやめます。
艦これはやってません(迫真

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