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鉄道帝國日本その3

1889年7月
中央本線が全開通。しかしその殆どが赤字経営を余儀なくされている。
その間にもフランシスは政府および鉄道省に掛け合い、どうにか国際標準軌への換装をしたいという事を伝えた。
1890年3月。
「兄さん!標準軌の開発が許可されたって本当かい!?」
ヘンリーがあわただしく工場へ駆け込んでいく。
「ああ、先進国への近道は国際標準軌の換装だと鉄道省に伝えたのが効いたらしい。」
フランシスはうれしそうに答える。
「これで2シリンダ複式機関がうまい具合にできれば、この国で始めての量産型の機関車ができる」
「確か今は75キロで走る試作があったよね?」
「ああ、だが、ここまできたら80キロの機関を造りたい」

そんな挑戦を胸に抱き、ついに5月。それは完成した。
「最高時速80キロ…!これで新しい機関車が作れるぞ!」
フランシスは感激の笑みを浮かべる。
「まだ喜ぶのは早いよ。今度はこれを積んだ機関車を作らないと…」
「既に設計図は作っている。これを微調整の後に形にして、ある程度生産したらもう走らせるだけだ」

かくして、国産の蒸気機関車の開発が進められることとなったが、それでも初めてという事もあり、試行錯誤を余儀なくされ、完成は来年を待たなくてはならなかった。
1891年2月。
この日、ついに初の国産の蒸気機関車860型が完成した。
車輪やボイラー、シリンダの部品の主要部分はイギリスからの輸入品であるものの、主台枠の仕上げ加工や、鉄や真鍮の鍛造、鋳造による部品の製造は神戸工場で行なわれた。
 国際標準軌の機関車であり、三種類の車両を製作した。
 上層階級の人々が乗る一等車両には回転セミクロスシートが使われ、二等車両にはセミクロスシートが使われたが、三等車両には座席はなく、いわば荷物置場のような空間で座らなければならなかった。
 かくして車両は完成したのだが、問題はこれは国際標準軌であり、狭軌であった従来の線路を改造する必要があった。
それでも2月末には東京~横浜の路線が改造を済み、実験的に運転が開始された。
3月
国産の860型は、東京~横浜間を29分で駆け抜けた。従来のイギリス製機関車では32分掛かっていたので、3分の短縮となった。
それでも初の国産という触れ込みや三階級に分かれたタイプであったりと従来の物より格段に上昇したその性能により、乗車率が上昇したのであった。
この報告を受け、鉄道省は大規模な860型の生産と各地の路線の改修を日本鉄道に命じた。
これを受けて各種12車輌編成の壱号を30編成分を生産する事が決定した。

5月には大阪~京都間。6月には熱海~横浜と、着々と更新が行われていった。
9月には関西本線と東海道本線が更新し、東京~大阪間において860型が走る事となったが、それでも中央本線やその他の所では未だ旧式のイギリス製の列車であった。
10月。
860型と標準軌の更新が進む中、日本鉄道は中国地方・九州地方への更新へ乗り出す。
上層部の中には内陸の中央本線およびその他の過疎地域の更新をすべきとの声も上がったが、鉄道省から中国・九州地方の更新をせよとの通達が入ると、沈静化した。
 清国・朝鮮との関係が年々悪化を辿っている事に起因していると誰もが痛感した。

1892年2月
九州地方の更新が進むと、鉄道情勢は激変した。
速度・乗り心地共に格段に上昇した列車のおかげで、乗車率は跳ね上がり、ダイヤの変更に追われる日々が始まり、それは九州に留まらず、大阪、東京にもその波紋は広がった。
 今ある列車では対処は不可能と判断されるとさらなる生産を余儀なくされるが、工場ラインが未だ整わない日本においては生産が間に合わない事態に陥ってしまった。
 そうなると乗車率は100%を超えて、混乱状態へと陥り、最終的には客離れとなる。
そんなこんなで、更新作業は停滞するも、どうにか8月には九州全線を更新が終了。
1892年10月
遅れに遅れた東北地方への路線拡大が開始される。しかしながらいずれおこるであろう清国との戦争を見据え、控えめな拡大計画に留まった。
なお、9月には100億円を投じて電力によって動く列車、つまり電車の研究を進める電気モーター部門を発足させる。これは1890年4月にて上野公園にて行われた内国勧業博覧会において路面電車が敷地内を走ったことを受け、そこから都市部においては電車を走らせようという気運ができていた為であった。だが、日本鉄道は、トレビシック兄弟の進める標準軌更新論とそれを元とした新型機関車の製作に夢中であり、あまり乗り気ではなかったともいえる。

そんなこんなで毎週5億の投資を行う事で日本鉄道における電気モーター開発が始まった。しかしながら上記の事もあり、もっぱら電気モーターに夢中なのは私鉄の方であり、都市部内の交通は機関車より電車のほうが合理的だという意識はあるものの、飛躍した考えを持ち合わせている人物は皆無であった。

1893年 5月
東北、および新潟あたりの標準軌への更新が進む中、新企画開発部門から自動改札システムなる方法が編み出された。要は今まで乗車するにあたり複雑だった購入を、単純化させるようなものであった。
これにより客一人当たりのコストが下がり、乗車率拡大となるというわけであった。
1894年3月
大変困難であった高崎~長野間をトンネルを掘り進めてやっとの思いで完成。
これにより、どうにか東北の路線を拡大した。といえるようになってきた。
1880年から始まった日本鉄道による鉄道敷設は、一応の成果をこの14年間で出し始めてきた。
しかし、鉄道の敷かれていない都市も多く、四国は未だ手つかずであった。

未だ問題を抱える日本鉄道であったが、新たな問題が朝鮮の方で出現してきたのだ。
朝鮮において農民の反乱が起こり、次第に勢力を拡大して行き、日本・清の介入を許す事態へと発展していく事となる。
7月に入り、日本・清両国は朝鮮へ上陸し、内乱鎮圧に乗り出すも、政治上の行き違いで衝突を繰り返す。

それを目じりに四国敷設へと乗り出す日本鉄道。
週を重ねるごとに使用量が貨物車両の需要が増え、にわかに需要が拡大。
そして幾多の衝突をし、ついに日本は清国へ宣戦を布告。かくして日清戦争は起こった。
日本鉄道地図3
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テーマ : 歴史小説
ジャンル : 小説・文学

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2011年2月16日導入
プロフィール

テト式

Author:テト式
24歳。がくせ…介護職員です。
東方厨だと思ったら艦これに裏切ったけど小鈴ちゃんが可愛いから那珂ちゃんのアイドルやめます。
艦これはやってません(迫真

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